
江戸の伝統の中で、文明開花を引き受けたひとりの姿として、この『五重塔』は注目に値する。 この記事では、詳しく見ていきたい。
1. 表層的には:「職人の誇り vs 近代化の波」
物語は、明治の東京・谷中が舞台。
江戸の面影を残す町で、貧しい職人・十兵衛が五重塔を建てる物語です。
彼は「金のため」でも「出世のため」でもなく、 “自分の魂を塔に込めるため”に建てる。
それに対して周囲の人々は、効率 (近代合理主義) や世間体 (江戸的共同体の目) を優先する。
この構図だけ見れば、「古き良き精神 vs 新しい時代の合理性」。 まさに文明開化期の象徴的な緊張ですね。
2. だが、露伴は”反近代”ではない
ここが非常に重要。
露伴は単に「昔は良かった」と言っているわけではない。
彼が描いているのは、 “変化の時代にも通用する精神のかたち”。
つまり、 「変化そのものに抗う」のではなく、 「変化の中でも崩れない生き方を探す」こと。
露伴は新しい文明や科学を否定せず、 むしろ“本物の文明とは魂の成熟だ”という立場を取っています。
五重塔の完成は、単なる建築ではなく、 「人間の精神が外の変化を超えて立ち続ける」ことの象徴なんです。
3. だからこそ、「静」と「動」の緊張が美しい
明治の街では、人力車や電車が走り、文明が“動く”ことで語られていました。
その中で、露伴は“動かない塔”を描いた。
露伴の描写は、細部に息づいている。
“ざあっと通る車の音、遠くで人の呼ぶ声、
下町の空気に、文明のにおいがまじっていた。”(『五重塔』 幸田露伴)
その「ざあっ」という音は、まさに人力車の車輪の音だ。
この描写があるように、 文明の音(人力車)を背景に、“動かぬもの”を建てる物語なんです。
つまり、『五重塔』とは―― 「動(文明)」と「静(魂)」の緊張を、 ひとつの塔の中に封じ込めた文学なんです。
ところが露伴はそのどちらにも立たない。
彼は、「変わることそのもの」に抵抗するのではなく、
「変化の中で何を失わないか」を問い続けた。
つまり、「近代化 vs 伝統」という二項対立そのものを越える位置に立っている。
これは構造的に言えば――
“脱構築的”である。
十兵衛の塔は、伝統の形をしていながら、精神は新しい。
彼は古い秩序にも、近代の効率にも従わず、“己の誠実”という第三の軸で塔を建てる。
露伴は、近代か懐古かという二項対立をそっとずらし、そのあいだに人間の“芯”を見つめた。
彼は古い秩序にも、近代の効率にも従わず、“己の誠実”という第三の軸で塔を建てる。
4. 露伴が目指したのは「職人=芸術家=哲人」
露伴の理想の職人・十兵衛は、 単に技を持つだけではなく、“悟りに近い心”を持っている。
この人物像は、のちの漱石の「知識人」や志賀直哉の「内省する人間」にも通じる。
ただし露伴の場合は、それを都市と伝統の狭間で生きる“職人”に託した。だから『五重塔』は、 近代日本における「精神的近代化」の起点でもあります。 ⸻
5. 結び:Shunの視点と現代への昇華
浅草で人力車を引いていると、十兵衛のように「変わること」と「守ること」に、自分の軸を持つことの難しさを感じることがある。
文明開化の時代が便利へと走りすぎたように、現代の人力車もまた、人間の手を離れて経済的合理性に飲み込まれそうになる。
だからこそ、自分は車夫として、この街の中で“守るべきもの”を意識しながら、緊張感を持って立ち続けたいと思う。
時代も、世界も違えど、自分の中に一本の芯を通して、生きていきたい。
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